ふらり・ふら〜り旅ごころ
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ダラムサラ'98
ダラムサラ'99
モロッコ
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1999年の秋、大きな荷物をタイ・バンコクの空港に預けて、アユタヤへ日帰り小旅行。鉄道に乗りたくて北上しました。車窓の風景を見ながらガッタンゴットン。気持ちよく揺られていると、隣近所の座席のおばさんたちが、親切に降りる駅や街の様子を教えてくれますが、悲しいかなタイ語は全くわかりません。いつものように手振り身振りで無事到着。見学を済ませ、圧倒される遺跡群を後に鉄道駅で待つこと1時間くらい。列車が来ない。。。。荷物を受け取りデリーへの乗り継ぎなので気が気ではありません。
ホームで居合わせた日本人青年と協議の結果、街外れの路線バスを使うことにして猛烈な速度で走りました。。彼は私より深刻で、バンコクの空港で待ち合わせの人と、どこかの国への乗り継ぎの時間が切迫しており、大変です。何とか間に合ってホッ。Bye Byeいい旅してね。さて私もダッシュです。こちらは係官から大きな荷物を不審がられ、「開けて」と要求されましたが、セキュリティを通過してきているし、インドのpoor childrenへの寄付だよと強行に押し切ってOKを獲得しました。時間がないんだから邪魔をしないで。 さて、デリー。昨年のMr.Manshinを指定し、ダラムサラ行きの荷物だけを搭載し、サールナート行きの荷物は旅行社で預かってもらって一路ダラムサラへGO。Mr.Manshinは昨年とは態度が違い、朝の出発で夜遅く到着のつもりが、下の街で一泊を要求します。仕方なく承知しましたが、ホテル近くの街のホールでの結婚披露宴にまたまた遭遇。ご馳走が頂けるぞ、とにんまり。いい加減なんだから私は。規模は小さいけれど、若者たちの音楽演奏や、盛り上げ屋の登場で、いやはや賑やかなこと。この時もやっぱり時間が長すぎて、爆睡の子供あり。一晩中踊り、食べ、しゃべり、騒ぐのだそうです。
今年はダライ・ラマ14世に会えるだろうか?
翌朝早くルンタハウスに到着。目を見張りました。昨年骨だらけの建物が立派に完成しており、空いてるゲストハウスの一室に荷解きしました。
時間ばかりが過ぎてゆきます。そんな中、調理を応援している佳代さんと仲良くなり、体息と称して中流ホテルに泊まりました。その帰り道、細い幹線道路に人だかりが。イスラエルから帰国のダライ・ラマ法王の車が通るという。民族衣装をまとう年配の婦人たちをはじめ皆手を合わせて待機しています。私たちもラッキー!と並びました。敬虔な信者でなくても思わず手をあわせ、ほんの数分の幸せを味わいます。三々五々人垣が崩れ、穏やかな時間が流れてゆく。
そろそろ私が今出来ることを始めなければ・・・・ 写真右の婦人は熱心に夜遅くまでミシンを踏み、夫に子守を頼んで仕上げました。私も真剣勝負だと思い、とことんつきあいました。つらい過去を持つ彼女たちがふと見せる悲しい表情に、心が痛むときがあります。シャツの上に完成品を試着したときの、はにかんだ笑顔が素晴らしかったです。その後役に立ったかどうかはわかりませんが、私は一心不乱に共有した時間を忘れることはない。チベットの人々はよく唄を歌います。数人寄るとすぐ合唱が始まります。とても素敵な笑顔です。しかし拷問によって指を失った婦人もいます。中国侵攻による1959年のチベット動乱以前にタイムスリップできればどんなに幸せなことか。 バスが到着した最寄の鉄道駅で、トラブル発生です。荷物預かり所を探すために繋いだバゲッジがない。うさんくさい男が私の後ろをついてきて、しきりにホテルの勧誘をしていたあいつか!鍵つきワイヤをぐるぐる巻きしておいたのに。 カットしたに違いない。$100とダラムサラの思い出がいっぱい詰まったキャリーです。ポリスに懇願しながらも、なんもしてくれないだろうなぁと悲しい。しかし諦め切れず未練がましくもう一度戻ってみたら、側にある屋台の電話やさんが「これかい?」と自分の足元を指さす。あらら、汚い私のバゲッジではないか。「ワイヤが外れていたよ」 ぐるぐる巻きすぎて結局手品のように外れていたらしい。嬉しくて100ルピー札を掌にあて、握手でお礼を述べました。私ってなんてスマートなんだろう。やはり私は強運の持ち主でした。疑った勧誘員さんごめんなさい。やれやれ。 サールナートは今日もいい天気。学校には日本からの若い旅行者が見学にきています。生徒たちは相変わらず元気だ。もちろん後藤住職も。「今年で一旦インドを卒業します」とは伝えられなかった。日本にいても電話で連絡もできるし、支援のお手伝いは続けられるし。ぐずぐずしているうちに帰国の日がきました。2003年の秋、こうしてホームページもなんとか開設でき、留学生の来日を待つばかりの今日この頃ですが、お約束のように手続きが遅れています。サントーシュ君の受験に合わせて、住職の里帰りを実現したいのに、どうも受験に同行は間に合わないようです。これもインドです。
インドを訪ねるたびガンジス川の朝日・夕日を眺めた7年でした。四角の500mlペットボトルを欲しがったジュース屋の若者。話の種にとブラックマネーに手を出して、ちょっと怖かったカルカッタの裏通り。夜中に到着して、慣れているからとリクシャーで予約のホテルへ行くつもりが、例の自分がリベートの取れるホテルへ連れて行こうと勝手に反対方向へ走る。よく知った街だから「NO!」と喚くが止まらないので、バゲッジごと飛び降りて近くの大きなホテルに飛び込んだことも。安宿から高級ホテルまで様々の体験をしたインド。 あれから8年後の2007年9月に再びサールナート前編サールナート後編を訪れた。1994年サールナートで出会った後藤住職のもとへ。 そしてBlogスジャータ村とメトロ乗車体験へ続く ●ジンバブエ〜ボツワナ ●ナミビア〜ケープタウン ●タイランド ●バヌアツ ●TOPへ戻る |