ふらり・ふら〜り旅ごころ

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アフリカの大地で竹とんぼを飛ばそう!

ペンシル

2003年3月、メイルを出しても今まで返事の来なかったIkukoさんから突然「ザンビアにいく」とメイルが来た。
あんなに忙しく仕事をしていた彼女が・・・・・。娘時代初めて就職した会社の同期である。わぉーアフリカだぁ。2月にチュニジアへ行ったばかりなのに、よし次の旅はザンビア!と即決定しました。滞在は2004年3月までとのこと。すでに1年前からザンビア在住の石原氏の元へ出発するという。定年を繰り上げ教師を辞め、JICAのシニアボランティア(2年の約束)に応募され、高い倍率で選ばれての赴任だったことをあとで知りました。活動情報ザンビア通信をご覧ください。ザンビアかぁ。詳しいことは全くわからん。まず「地球の歩き方」ほかのガイドブックにない。ネットで検索し、メイルで現地情報をもらいながら、準備を始める。以前からビクトリアの滝へ行きたい希望があったので、位置関係はどうじゃろう? う〜ん近い。"ちょっと寄って顔見てザンビア"コースのつもりが、いつしかせっかく行くのにとか、ケニアやエジプトならいつか行く機会もあろうがとか、ザンビアはちょとやそっとで行くことはないじゃろうな、などと沸々と旅の虫が蠢く。世界地図を見るとやっぱり遠くて広い。移動に時間がかかる。2週間ではうわべをさするだけの旅行になる。というわけで私も2004年3月の退職予定を前倒しして2003年12月1日出発、24日帰国としました。
 とりあえずのコース作成は経験でなんとかなったのだが、問題は予防接種である。限られた病院で接種日程に制限があり、結局狂犬病・破傷風・A型肝炎を2回ずつ接種。最後に黄熱病予防を施し(安心のため)、10日以降に効力を発揮するのだそうです。10年の有効期限があるということなので、マリ共和国へ嫁に行く予定のまる子先生のところへ行こうかな。やれやれしめて28,000円。心配だからとマラリアの予防薬も持参しなさいと勧められた。医者はもっと持って行きなさいと言うが半分にして5,500円。健康保険はもちろん適用外。安心保険みたいなもんだからね。マラリアの予防薬は、むしろ飲んだ時の副作用のほうが大変というIkukoさんのアドバイスに従って、最後まで服用せずじまいでした。

   
サウスアフリカ地図
South Of Africa
国旗
    ザンビアの国旗

 面積:日本の2倍
 人口:1020万(人口密度最低国)
 首都:ルサカ
 イギリスから1964年に独立
 公用語:英語
 言語:ベンバ語・トンガ語他多数
 通貨:クワチャ(10.000K=250円)
 部族数:約73

 さて、香港経由でヨハネスバーグへ、さらにルサカまで。乗り継ぎの待ち時間を含めて、なんと25時間。やれやれ。関空からヨハネスバーグ(ここはキャセイ航空)を基点にルサカへ入ってケープタウン(ここは南ア航空)から帰国しました。荷物は往復ともスルー扱いが可能であり、キャセイ航空はLALと共同運航便なので、JALのマイレージが加算されて、おいしい結果となりました。(この件には後日談があります。本当はマイレージがつかないチケットだったということで、「搭乗当日登録済分はそのままでよいが、後日登録申請分は応じかねます」との返答があり、JALさんにはご面倒かけました)

ペンシル 空港へは運転手つきの自家用車で迎えにくるという。いつの間に似合わないマダムになったのかといぶかる私へ「治安の関係で歩き回れない」とのこと。私は自由に歩き回る旅が好きなのになあ。南ア資本の大手スーパーマーケット「SHOP RITE」の専門店街でクレジットによる現地通過を出金。単位が大きいので、びっくりするほどの枚数になる。トルコもそうでしたが経済が安定しない国は単位が大きい傾向にあります。そしてUS$が一番強いのです。なんだかんだといってもアメリカはやはり世界を支配しているのだ。ザンビアでは円は全く無視されています。紹介が遅れました。ドライバーはオリバー君。25歳くらいの独身。このあと10日までの滞在中なにかとお世話になりました。よく気のつく男で細やかな愛情の持ち主だが、少々積極性に欠ける資質で、結婚願望も強い様子だが彼女はいない。日本女性がお好みとか。「しかしルサカでは若い日本女性をキャッチするのは無理だから諦めろ」と我々中年おばさんはおせっかいに励みます。
石原邸
石原邸のご夫妻
夕焼け
石原邸からの夕焼け
 ルサカの空港から車で30分くらいのムルングシ村にある石原邸は、セキュリティのしっかりした広い住宅地の一角にあります。もう30年も前の建物だそうで、ご近所はもちろんJICA関係、大学教授や政府関係、大使館関係者だとのこと。広い庭にはマンゴ、バナナ、パパイヤ、色とりどりの植物(花の時期は少し過ぎてしまった)と手入れの行き届いた芝生。加えてルサカは標高1300mの高原であるため、日中は暑いが夕方は過ごしやすい。部屋数も多く快適な滞在となりました。もちろんIkukoさんの知られざる一面である家庭管理のすばらしさも見せてもらって。ボランティアですから生活費だけが支給されているわけで、庭師(ムエンベ君。彼は若いのに子持ちです)とドライバーは安心と安全と雇用促進のためと言えます。聞いているとなかなか人を使いこなすのは難しそうです。根っから本物のマダムじゃないからなあ。しかし毎日見ていると実に彼らに対して眼差しが暖かいのです。若い海外協力隊の隊員たちが「おなか一杯食べられる気取らない希望の家」として訪れるのも、さもありなんと思えます。
ミスビューティー  12月4日JICAの事務所と石原氏のオフィス兼実験器具製作室の見学、そしてスタッフの方々に紹介していただきました。決して立派な建物や部屋ではないが、ボランティアでもあり2年間で仕上げたい計画と実績が大切とばかり、わがままを主張されず一歩一歩成果をあげておられました。その日は閉まっていましたが実験成果の器具は展示保管されているそうです。「敬服」の一言につきます。2年間の歩みはザンビア通信にてどうぞ。
右の写真はスタッフのひとりMiss.Beauty.名前のとおり美人です。ザンビアの典型的な女性の衣装は、ちょうちん袖とネックのスカラップカット、鮮やかな色彩と頭の巻きスカーフです。ザンビアに限らずその後のアフリカで、いやはや美人軍団に圧倒されました。


ペンシル

さあサファリへ。日本の旅行社からもザンビアなら是非!と勧められていたサウスルアンガ・ナショナルパーク。ルサカから東北へ18人乗りプロペラ機で1時間4WDで30分の国立公園です。往復運賃、2泊3日のコテージと食事、朝夕各2回の4輪駆動車によるサファリツアーでしめて350US$と国立公園の入場料20US$。高いか安いかは人それぞれですが、私にとっては予約済みで、体と下着・洗面道具・蚊取り線香・虫除け薬を持って行くだけは嬉しい。1時間のフライト中、眼下のサバンナ景色は全く変化なしでした。やっぱり広い。 プロペラ機ただただ広い!MFUWE空港着。4WDは猛スピードで走る。われ等二人は悲鳴を上げるが、他の外国人は全員平気な顔をしている。熱風のなかでも半そで半ズボンだもんね。村々のマッシュルームハウス(わらぶき屋根のかわいい家)の写真もとれない。
 ナイトサファリは16時30分出発。直後いきなりライオンに遭遇。小さい声で「hello」と言ったら、前のでっかい婦人から「呼んじゃダメ!」「ハイすみません」。この婦人は大使館勤務のオランダ人で休暇中の息子とその友人で参加。しかし帰りの飛行機の中では大声でしゃべりづめでした。おっと横道にそれました。かのライオンは仕留めた小動物を一心不乱にかぶりついている。しかしライオンはオスでも寛いでいる時は足を横に流してセクシーポーズです。休憩時に「このあたりにマンゴがあるか?」「村の中にいっぱいあるよ」「そう、好きなんだマンゴ」で会話は終わり。ガイドはマンゴよりずっとハンサムで知的なnice guyでした。
 サファリの成功はひとえにガイドにかかっているのだ。いかに遠くの動物を見逃さず、4駆のハンドルをさばくか。もう満点ガイド&ドライバーでした。きりん、象、ライオン、インパラ、バブーン(ひひ)その他大勢の鳥たちに会いました。 20時からのディナーが終わる頃ガイドが「マンゴをだすよ」全員かと思ったら私だけ。みんなが待っている中を、私ひとり熟しすぎのマンゴにかぶりついて、口の周りはオレンジ色。ライオンに笑われそうです。恥ずかしかったが美味しかった。残りは部屋へ持ち帰り。

象の親子
象の親子
きりん
きりんのカップル
ルアンガ
プールに映えるサファリの夕焼け
かや
お姫様気分の寝室の蚊帳
マンゴ
特大マンゴ
  夕食後コテージへ帰ろうと庭に出たら、サーベルを手に男性スタッフが近寄ってきた。「ギクッ」「部屋までエスコートします。動物が出ますから」「またギクッ!」つまりコテージでふたりの妙齢婦人が動物に襲われるかも?という想定で鍵の再点検やガラリをきっちり閉めて、ぐっすり眠ったような眠ってないような朝を迎えました。基本的に私の旅道中は快食、快便、快眠であり、Ikukoさんを羨ましがらせました。モーニングサファリは6時集合。軽食を済ませて6時30分いざ出発。「双眼鏡とカメラよし! 日焼けどめと虫除けクリームよし!」 モーニングサファリとナイトサファリの4回で、棲み分けの各テリトリーにお邪魔をするようです。お尻に輪を描いた白い毛のあるウォーターボック。子供のワニ・・・・本を片手に鳥の観察をする父娘連れ、何日も滞在するホリデーの青年に「さよなら」を告げて愉しい夢のサファリも終わり、途中から降った大雨の中、現実の世界へ戻ってゆきました。
サファリのランチ
3日目のランチはサバンナの中で
サファリのガイド
満点ガイド&ドライバー
マホガニー
ロッジ内にあるマホガニーの大木
 サファリから戻って12月8日。8時きっかりにヘレンさん来宅。彼女は3人の子持ちの寡婦。まだ若いが、夫は亡くなったとの事。多分エイズだろうと思います。ザンビアの平均寿命は38歳。子供の死亡率も高い。今JICAが取り組んで成果をあげている「予防医療支援プログラム」の功績は、確実な成果になるでしょう。ヘレンさんはドレスメーカーつまり縫い子さん。物価の安いザンビアで服を縫ってもらうのです。しっかりした生地をサファリに出発する前に購入し、オーダーメードでインド風パンジャビスーツ(つまりもんぺとノースリーブのワンピース)を注文したのが、今日届いたというわけです。実はこのページのトップの柄がその生地。彼女はずいぶん丁寧な縫製で、簡単に説明しただけなのにきっちり仕上がっています。「では、日本人の仲間に紹介して、もっとお客さんを増やそう」と、二人のJICA関連の夫人を招待しました。これじゃほとんど私の自宅状態です。出来上がりの服をきて、待つこと数分。「わぉーワンダフル」でヘレンさんの次の約束日が決まりました。彼女の家には電話がないため、先々の打ち合わせをします。遠方から歩いてきて、おまけに出入口のセキュリティーで根ほり葉ほり聞かれるようです。朝早く来るのは日中が暑いため。日傘もささず帰ってゆきました。さてさてその後お気に入りの洋服が出来たかな?販路拡大につながるといいのだけれど・・・
 石原氏はザンビア産竹とんぼを持って帰宅し、庭で竹とんぼを飛ばしています。私が進呈した日本の竹トンボを揚力の教材に使用してくださったのです。材料は竹の確保が難しいかもということで、地元の材料で製作。その日の散歩の折、石原氏のたくさんの実験教材と講和を、3月までに成果として1000冊製本化し、ザンビアの学校に配布したいと、まるで少年が夢を語るように話されました。ザンビアの多くの先生がたが、未来ある子供たちに種をまき、きっとマホガニーのような大きな木に育ってゆくだろうと私は確信しました。

ペンシル  12月10日いよいよ石原宅を離れます。昨日リビングストン行きバスの予約センターへ出向き、ダブルデッカーの2等つまり安心と信頼(だと思った)をこめて60,000クワチャでチケットを買いました。所要時間が5時間というので午前7時発にした。オリバー君に送ってもらい「ありがとね、世話になったね」とお礼を。実は生地を買いに行った折、どうも計算があわなくて、私が首をかしげていたものだから、彼が電卓をたたいて「うんやっぱり違うよ」と指摘してくれたのです。なかなかいいヤツでした。クリスチャンでゆっくり話す穏やかな性格ですが、ちょっと気弱なためガールフレンドがいません。ある日ランチを同席した時、ウエイトレスがどうも彼に好意的に見えたので、「ほらほらアタックしなきゃ」とけしかけたのですが、笑うばかりです。しかし小さな声で好意的に話しかけていたのは、「遅れているオーダーを、今テイクアウト用にパックしているから待っててね」ということだったことが、後で判明。あえなくおばさんのおせっかいモーションは崩れ落ちたのでした。
 さてダブルデッカー。もとイギリス領ですから赤いあのバスが待っているものと愉しげに行くも、姿なし。普通車の乗客が、7時発のバスだと言う。オフィスへ直談判にゆくと、平気な顔で「6時の分で出発した」とほざく(失礼)。さあここからが大変です。差額15,000クワチャ返金の要求をするのだが、会話が成立しそうにないので私の手帳のダブルデッカーの絵を指し、金額を記入して「差額をもどして!」「普通車の運転手に要求せよ」信じられますか?この状況を。押し問答していると、オリバ君ーが「運転手が返金するって」とのんびり顔で来ました。彼が言うならホントだろう。
 ひび割れフロントガラスに広幅セロテープをべたべた貼ったオンボロバスに揺られて、あと1時間で到着という地点で「パパン!」パンクですって。よくある話らしい。全員がのろりと降りる。ザンビアンは慣れたもので、のんびり座って座談会風景。そこへ果物売りがやってきて、バスのスタッフがまとめ買いし、私たちに配るが、あまりおいしくなかった。
バス
のんびりと修理を見守る
座談
果報は座って待とう
 私も道端に座り、日記を書く。お土産にもってきたマホガニーの実のはじける様子を記録する。表皮の地味さに比べてなんと実の色鮮やかなこと。Ikukoさんと走った町の大通りの並木もマホガニーの行列でした。やってきたバスに乗ったのは、結局10時発の次のバスでした。ったくもう。しかも座ってきたのに、次のバスは満席、つまり終点まで立ちんぼです。たまたま生意気そうな日本人女性Tomokoさんを見つけたので、「おおJICA以外初めての日本人だ」と話しながらバスに揺られていた。写真左下はマホガニーの実 実
 しかし私のすぐ側の黒人婦人が苦しそうです。妊婦でした。バスはわき道にそれて、病院にはとても見えない小さな建物へ立ち寄り、夫婦で降車。すわっ車内でお産!でなくてよかったよかった。そして一路リビングストンへ。ザンビア側のビクトリアフォールズは町の名を「リビングストン」といい、ジンバブエ側は「ビクトリアフォールズ」と呼ぶ。
石原氏が是非と薦めてくださったHotel「ザンベジ・サン」へ無事到着しました。よいホテルで、敷地から何度でも滝へ行けるのがウリです。いつか行きたいと思っていたビクトリアの滝にとうとうやってきました。滝へ出入り自由というのがそれほどのことかといぶかっていたが、それほどのことでした。つまりジンバブエ側から滝に行ったとき判明したのですが、ナショナル・パークは入場料が20US$かかるのです。そうサウスルアンガ・ナショナルパークもそうでした。ザンビアでは夕方と朝の2回拝みにゆきました。 ホテル・ザンベジサン
 専用ゲートで部屋番号と名前のサインで出入り自由です。雨季に入ったばかりで、壮大なとはいいがたい水量でしたが、それでもかなり離れているにもかかわらず、霧水をかぶります。虹も見て写真も撮って。花柄のかわいいスカートをはいた初老婦人に「撮ってあげましょう」と声をかけられ、デジタルカメラの操作法を伝授。「ありがとう」といったところで、夫らしき人が望遠つき一眼レフの大きなカメラをその婦人に手渡す。ありゃ、プロかセミプロ級の腕だったのかあ。
滝
ビクトリアの滝
ホテル
素晴らしかったホテルZAMBEZI SUN
 残ったクワチャをお土産にかえて、今日ザンビアを出ます。しかし町から遠く離れているこのホテルから、どのようにジンバブエ側へ移動するのか?フロントに聞くと、18US$で、タクシーを使ってボーダーを越えるサポートとジンバブエ側のホテルまで 届けるサービスがあるという。高いか安いかわからないが、また町へ戻って旅行社で態勢を整えるのは辛いと判断して、そのサービスを利用することにした。こうして思わぬ長逗留となったザンビアに別れを告げました。  (ザンビア編 完)
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