ふらり・ふら〜り旅ごころ
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モロッコ
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2001年2月 ![]() カサブランカ! カサブランカ!カサブランカ! 知る人ぞ知る映画「カサブランカ」である。お墓にもってゆくビデオ1本ならこの「カサブランカ」を希望します。映画「クンドゥン」のロケ地がモロッコだったことからつけたしのような理由もある。モロッコに行く!と宣言すると一人「私も行く」と手を上げたのが、インドも同行したK嬢でした。 2月8日マラケシュ着 大草原に映える夕日を道ずれにひた走る列車は5時間でマラケシュ着。午後8時だった。日本人女子学生とフナ広場までシェアすることになったが、ここでタクシー運転手が私達を獲得すべく争いが勃発。赤のFIATプチタクシーが20DH/carにするという。 白のBENZグランタクシーが40DH/car。4人が乗れて同じ距離をゆくなら、安いほうがいいに決まっている。私としては別のタクシーを調達するか、プチタクシーのおじさんに軍配をあげたかった。待つこと数分。どう解決したのかグランタクシーで出発した。現地には現地のルールがあり、あのあと優しそうなFIATおじさんに鉄拳が下らないことを祈るしかない。
2001年2月10日 いざ出発。
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2月10日 | ![]() 郊外の素朴な青空土曜市。華やかな民族衣装の水売り、足を縛られた鶏の束、豊富な野菜、香辛料屋、散髪屋、食事処、きったないトイレなどなど。 ミントを10円くらいで山盛り2束を購入。その後道中の車内とホテルの部屋にいい香りを漂わせてくれました。 ◎アトラス山脈越え カスバ街道を行く 峠の茶屋で二人のジョルダン(POLICE)がいきなり握手を求めてきた。モロッコの親日ぶりはうわさ以上。お茶して、美しい棚田を後に出発した。 ◎アイト・バン・ハッドゥ カスバ街道の日干しレンガ建造物のひとつ。アラブ人の侵攻に先住民ベルベル人たちが造った砦だが、現在5家族が住み、世界遺産に登録されています。映画「アラビアのロレンス」や「シェリタリング・スカイ」のロケ地としても有名。家の中の見学料が5DH/人、合法かいな?維持管理に利用していただければいいんです。民家屋内の壁に映画「タイタニック」のポスターが場違いに貼ってありました。
Mr.Hassan面目躍如! 彼はかわいい10歳の少年を案内役に手配してくれていました。いつどうして連絡したのかわかりませんが、いつの間にかはにかんだ笑顔でついてきました。言葉は通じないが気配りさわやかな子で、お土産屋でも知らん顔で外でじっと待っていた。一緒に連れてカサブランカやフェズの街を見せてあげたかった。大満足でしたので、少年にチップをはずんでHassanを喜ばせてしまいました。 ![]() アパート風の2階建てで独立性のある部屋でした。プールもあり食事もgood。ヨーロッパからの観光客が多いとか。個人でゆ行く方にはお薦めです。 |
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2月11日 | カードマシンがダウンし、現金をかき集めて大慌てでした。Hassnまたも遅刻。村のどこかで宿泊しているのだが、夜遊びしてるんとちゃうか? ![]() 緑豊かな渓谷と巨岩奇岩がごろごろ。ここでもHassanはポイントアップ。彼の友人宅で格別美味しいミントティーとヘンナ体験。ここでのミントティーは旅を通して一番コクと香りがありました。礼儀正しい4男2女のパパはロマンスグレーのいい男です。長女ファティマさんにファティマを描いてもらう。ファティマさんは昔の日本の花子さんのように親しみ深く、多い名前です。染料ヘンナで幾何学模様を手に描くのだが、これは魔よけと幸運を呼ぶという習慣で、女性だけに描くようなので、幸せな結婚を願う表現かもしれません。インドのお嫁さんも結婚式に、同じような彩色を施しています。2週間くらいは手に残るらしいが、私のは3日位で薄くなってしまいました ◎今夜はHassanお薦めのホテル ロッシュ泊 トドラ渓谷の大岩石の間にあるホテルで、ヨーロッパ人にはロック・クライミングとして有名な渓谷です。写真左の上から1センチ中央の米粒が登山者です。 夕食は大テントの中であれこれチョイスできるア・ラ・モード。味はまずまずなのだが、ゆっくり食べさせてくれない。親日家のスタッフがやれっ写真を一緒に、住所を書くからそれっ送ってくれとまとわりついてうるさい。連れのK嬢が美人なので仕方ないのだが、つけたしの私には・・・。 日本から送って到着するんかいな?この国の郵便事情は。。。 |
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2月12日 |
◎朝の散歩中にトアレグ族の青年に遭遇。 ブルーのターバンをかぶり口をふさいでいるので、キラキラ光る目に吸い込まれそう。ターバンの色で出身族がわかるという。ロングドレスのポケットには刺繍が施され、腰あたりから裾まで生地に地紋がある。お知り合いになっておけば、もっと詳しく、たとえばドレスの中はどうなってるの?と聞けたのだが、いくらおばさんでもそれははばかられた。いやはや美しい青年でした。もっとも目から下を覆っているので、歯が真っ黒という可能性もありますが・・・・ ![]() ◎午後になって砂漠のメルズーカに入る。 我らのミニバンは4WDの輪だちを追って全速力で走る。するとな〜んにもない荒野にポツンとホテル「SALNA」の看板が見える。時間は14時20分。はるか向こうに見える車列はパジェロなどの4WD。あれはもっと奥の「ホテル トンプクト」に行くにちがいない。マラケシュで出会ったフランス人夫婦のガイドが、ヒラリー・クリントンさんが泊まったホテルだよ、と紹介状を書いてくれた。が話の勢いで「SALMA」になった経緯がある。がしかし予算が合わなかっただろうとは思う。 15時からホテル代の交渉開始。どうみても安ホテルだが、敵もなかなか引かない。妥当な金額とは思えないが宿泊、食事、朝夕のらくだツア2回でやっと16時に交渉成立する。回りを見ると女性は二人だけで、スタッフがごろごろ男性ばかり数人。あららである。
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2月13日 | ![]() 朝6時出発。綱引くGagaの歌はリラクゼーションそのものの世界。丘の頂上で祈るGagaの姿に魂を揺さぶられる。7時30分の日の出を拝んでホテルへ戻り、ヨーロッパ人と台湾人12〜13人のパーティーの帰還を迎える。ラクダの背に揺られ、テントに眠る2泊3日の砂漠ツアーは素晴らしいそうです。もし機会があれば是非お出かけください。 アラビア語で「ハリラ」という料理に似ている味噌汁で腹ごしらえを済ませ、さあフェズにむけて出発です。流行中の「ラクダはらくだ〜」に見送られ、「まっさらサハラ」の感激を胸に「いっぱいサハラ」に別れを告げる。数年後にはひょっとして、モロッコのラスベガス状態に変貌しているかもしれない。イスラム圏ではその心配はないとは思うけれど、旅人の勝手で言えばそれは困る。
![]() 「公衆トイレはどこですか?」「ない!」 「カフェにはあるか?」「ない!我が家へ来て」 「いいのぉ、しかしテレブティックはどうするの?」「オートマティックだから、ムニャムニャ」とこんな具合で、結局10分くらい歩いて彼女のワンルームマンションへ。その間Hassanはのんびり喫煙タイム。 ◎モロッコ人の日本びいきは事前調査済みではありましたが、いやはや。「ディナーもどうぞ」「ドライバーを待たせてるんよ、残念!」などと、日本語英語フランス語ちゃんぽんで会話が進む。彼女はお母さんと二人暮らしで、部屋の2辺がカーペットを敷き詰めた長いベンチで、大きなクッションがいくつか並んでいます。記念撮影の後、いきなりmade in China の熊のぬいぐるみを差し出され、私達に遭った喜びを全身で表現してくれます。持参の3色ボールペンをプレゼントして、愉しい時間が過ぎました。 18時30分やっと着いたフェズのホテルでは、汚い格好の二人連れに、フロント女性は冷たい視線を投げてくる。Mr.Hassanとはここでお別れです。横顔が相撲界の武蔵丸にそっくりな彼とは、言葉はあまり通じなかったが、目配り気配りいっぱいの実にいい男でありました。 |
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2001年2月14〜16日フェズのメディナで遊ぶ
![]() フェズの2泊目はホテルを移動しました。あとの2泊はグレードを上げていいホテルに泊まろうと見栄をはったのですが、電話での予約のためどうも言葉の壁に負けて、思っていた金額と違い、支払いの時に大慌て。チェックインの時点では疑いようもなく立派なホテルに満足満足のふたり。さあフェズのメディナに繰り出そう。とにかく広い。へびのようにくねくねと入り組んだ細い露地を歩く。あれ、さっき通った店の前だよ。くるくるまわっていたみたい。それでも慣れてくると怖いもの知らずで、冷やかしに入ったアクセサリ店の主人が「ビンボープライス」と言って、日本人観光客の値段交渉を揶揄するのがおかしい。日本人観光客は世界中のみやげ屋でもて遊ばれている。
さあカサブランカに戻って、帰り支度です ![]() 2月16日。昨日スークで購入のジャムとホテルディナーで失敬したオレンジ、駅売店のフランスパンと水をひっさげて列車に乗り込み、午前9時45分、フェズを定刻発車した。列車はコンパートメントです。つまり片側通路のガラス張り客車に前後長シートに4人づつ計8人が座れるタイプ。私達の前に、こわ〜い系のお兄さんが入ってきて一瞬ドキ!今さら座席移動も出来ず緊張して座席にはりついていました。ところがその彼がサングラスをかけた途端に「キアヌ・リーブス」にヘ〜ン・シンしたのです。
結局K嬢は2004年秋の時点で、4回目のモロッコ旅を終えていた。満月の砂漠の写真が撮れるまで、続けると語る。4回を通じて、この2月の旅が一番よい青空だったとも言います。私も映画「クンドゥン」や「シェルタリングスカイ」「最後の誘惑」をもう一度見直してみると、そうそうあんな風景だったと思い出されます。「シェルタリングスカイ」の原作者のアメリカ人ボウズ氏は、モロッコから帰れなくなり死ぬまで過ごしたという話は有名です。帰れなくなる日本人も勿論いるでしょう。その気持ちよ〜くわかります。サハラ砂漠の写真はネット上にもたくさん紹介されていますが、とにかく砂漠はそそられる被写体であることは間違いありません。帰国後カメラには土産の砂が入り込み、点検に1700円、修理代に9600円もかかってしまいました。カメラにご注意 ●ジンバブエ〜ボツワナ ●ナミビア〜ケープタウン ●タイランド ●バヌアツ ●TOPへ戻る |