投稿エッセイ−インド初体験2009冬『暖かな日差し』 楠掘誠司

ペンシル農村地帯を走るタクシーからの風景は確かに単調そのものだったが,あたかもチキンレースに興じるかの如き運転のタクシーでは,そんな単調な風景に飽きる暇はなかった.随分と前に読んだことのあるネパール旅行記に,やたらと「テリブル,テリブル(ひどい,ひどい)」と連発するネパール人のことが書かれていたが,目の前に迫った対向車を見ながら「テリブル」という言葉を思い起こしていた.「もう少しですよ」と佐々木が教えてくれる頃になっても,「早く着かないかなあ」とばかり思っていた.
日本寺正門

  目的地を知っていると言っていた運転手であったが,通り過ぎてしまった目的地に向かうために狭い道を強引にUターンして,これがインド流なのかと思っていると,ようやくこれからお世話になる日本寺に着くことができた.そのお寺の名前が「法輪精舎」であるということは,お寺の前に立って初めて知った.
「これが日本寺なのか・・・」と,頭で勝手に想像していたイメージとのギャップに戸惑いながらも,
インドらしくもある外壁を見てどこかで安堵もしている自分がいた.
 お世話になることを前提としたサールナート滞在で,誤解を恐れずに言えば,私個人としては,日本人としてインドに住むこと,学校・教育環境について,これらのことをご住職から,あるいは,この法輪精舎に滞在することで少しでも肌で感じてみたいと願っていた.
それをどこまで自分の問題として捉えることができるか・・・

田園 ペンシル

事前に(広島支部)佐々木からは,ご住職については少しだけ話を伺ってはいたが,法輪精舎そのものについては全く知らされていなかった.私にしても何となく聞きそびれていたし,気がついたら法輪精舎の前に立っていたという感覚だった.
だからご住職についても,想像力たくましくイメージを膨らませることもなくお会いすることができた.お茶を飲み,話を聞き,質問し,そしてまた話を聞く.この後法輪精舎での時間は,こんな風にして過ぎて行った.
サールナート滞在での希望はあったものの,それが「○○に行ってみたい」というような観光旅行での目的とは全く違ったもので,そもそも私にとっては「目的」とはなっていなかった.15年前に佐々木と訪れたマニラでは,ひたすらに太陽の日を浴びながら街を歩き続け,そして疲れたら座って水を飲んで休み,そしてまた歩くことの繰り返しだった.
そんなことをまたやってみたいとか,出発する間際になってヴァラナシがガンジス川沿いにあることを理解して,ガートに行って川を見てみたいだとか,そんな希望を漠然と感じていたことは事実だった.
校門

ペンシルだが,UP州の冬は想像以上に寒かったし,マニラを追体験することは早々にあきらめなければならなかった.それでも,学校にだけは行ってみたかった.法輪精舎が学校を運営することは聞かされていたから,少なくとも学校の見学だけはやっておきたかった.
翌朝,ご住職がご飯を作って下さるというのでそれに合わせて起き,とりあえず学校に向かってみることにした.法輪精舎前の道から外れると,あたりは一面の農村風景が拡がっていた.家を建てている人が,「マスター,何をしているんですか?」と大声で話しかけてくる.ご住職の話では,不況になってからサールナート付近までやって来る観光客はめっきり減ってしまったとのことだったが,主道を外れた場所で外国人が歩いているのは珍しいのだろうか.
前日,農家が集まる一帯に足を踏み入れると子ども達があっというまに群がってきて,それを取り巻くように徐々に男たちも群がってくることもあった.「学校を探しています」と答えると,あそこだと指し示して学校を教えてくれた.

教室

 この日はイスラム教の休日にあたるらしく,学校自体はお休みであった.門をくぐると少女と目が合い,大人を呼んでくれた.見学に来た旨を告げると,鍵を取ってきて教室内を見せてくれた.ひんやりとした教室は,想像以上に暗かった.この日は,小さな机を見ながら「どんな学校なのだろう」と想像するしかできなかった.
翌日も学校を訪れた.既に授業は始まっていた.開かれた窓から授業風景を垣間見ながら,見知らぬ日本人がやってきてそわそわし始める学生達に,前を向くようにジェスチャーで伝えながら見学させてもらった.
一つの机に3人も4人も座って授業は進められていた.こういった状況でありながらも,UP州では最上位の成績を学生達が収めていることを知らされると,驚く以外になかった.
現在校舎は拡張工事が進んでいるが,現時点で800人もの学生が学んでいると聞き,
その規模に唖然とするしかなかった.
ただ,私にとってこの学校訪問は,これまで感じていた漠然とした思いを,もう少し後押ししてくれることになった.学校施設というインフラが整備された後には,インドを含めた国々でいずれ教育の質や効果といった「中味」のことが,公で論議される時代がやって来るのだろう.そのことに備えておくことは,今の自分にはやはり必要なことなのだと.

クリケット ペンシル

法輪精舎滞在中には,隣接する高等チベット学中央研究所内を散歩したり,観光地である鹿公園まで歩いて行ったり,ガートを歩くチャンスに恵まれたり,子ども達がクリケットに興じる姿をひたすら眺めていたり,時間はゆったり流れていった.
それでも街を歩けば,道端に干涸らびて転がっている子犬の死体,ガートで焼かれ川に流される遺体,明日まで生き延びることができるだろうかと不安に思えるほど衰弱している牛を見ることがある.そんな時は少なからず心揺さぶられる.
そんな私には,ご住職との静かな時間は貴重だった.
午後になると法輪精舎の庭には暖かな日が差し込んでくる.そんな日を浴びながらご住職の話しを聞き,質問し,また話しを聞くと,暖かい日差しが体を温めるように,暖かい気分になれるのだった.
そしてご住職が作って下さった食事をともに食し,お茶を飲み,話しを聞き,・・・.こんなことの繰り返しを続けるうちに,分からないことや理解し難いことは現実としてこの世の中にあるのだから,焦ることはないのだとご住職に教えられたような気分になって自分に言い聞かせることができた.こんなにもゆったりできた気分はいつ以来だろうかと,思いを巡らせる自分がいた.

散髪

  だからこそ,今回の旅の終わりはいつになく感傷的になってしまった.やはりもっと早くに来るべきだったと思いながらも,来て良かったという思いに強く抱かれながらヴァラナシの駅に向かった.

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